人は「成長」しなければいけないのか
人は基本的に「成長」し続けることを願う生き物であると思います。
会社や学校で「成長」することを促されている方も多いでしょう。
また、本屋を見てみても、そこには“自己啓発書”なる、成長するためのツールが大量に陳列されており、「今の自分を変えたい」といった、希望を持っている人々が多くいることが伺えるのではないでしょうか。
では、人は必ずしも「成長」しなければいけないのでしょうか。
最近の世の中は、何かいやでも「成長」しなければいけないような、ちょっとした“脅迫”のような空気が流れているのではと感じてしまいます。
こんな疑問を感じているのは私だけでしょうか。
夜ご飯を食べるまで暇なので、そんな疑問を考えていきたいと思います。
他人から「成長」を促されるのは大きなストレスとなる
当たり前のことですね。でも書きます。
私がまだ大企業で勤めていた頃、しきりに「成長しろ」、「そんなんじゃあ成長しない」と日々言われていました。
当時、私に「成長しろ」と言っていた彼らの考える「成長」とは一体何でしょう。
それは恐らく、“社畜として社会で生きていく力を養うこと”だと私は思いました。
彼らは「常識」という言葉が大好きで、“多数派の意見”、“大きな力”に尻尾を振ります。「会社の為に自分を犠牲にしろ」とも何度も言われました。
そんな環境でこの「成長」というキーワードを素直に受け止め、糧にしていきたいと思うでしょうか。
私には無理でした。
多数派に巻かれる、無難な道をより安全に歩く技術を「成長」として受け止めたくなかったのです。
「成長」は“させられる”ではなく“する”もの
私の好きなドラマ「あまちゃん」にこんな言葉が出てきます。
東京では成長しねえと怠けてるみたいに言われるべ。成長しなきゃ駄目なのか?人間だもの、ほっといても成長するべ。背が伸びたり太ったり痩せたり、おっぱいでっかくなったりな。それでも変わらねえ、変わりたくねえ部分もあると思うんだ。あまちゃんだって言われるかもしんねえけどそれでもいい。プロちゃんにはなれねえしなりだぐねえ
これは東京でアイドルを目指していた主人公が言ったセリフで、私はこの言葉がとても好きです。
「成長」って強要するものでもないし、強要されるものでもないんですよね。
周りになんと思われようとも、“自分がなりたい自分”にむけて努力をして、「成長」するのが一番健全じゃないですか。
一人でも多くの人がシンプルに無理せず、「自分らしさ」を持ち続けられる世の中が来てほしいものです。
そんなことを思う私は「あまちゃん」でしょうか。